いざログハウス見学のツアーに出発だ。最初に立ち寄るのはエド・キャンベルの家とジョブサイト。
勿論生徒たちにとってはプロの作業場とその作業風景を見るのはは初めてのこと。
エド・キャンベルと妻のアイリーンは心良く私たちを案内してくれた。
蓼科でのエド・キャンベルとの初めての大仕事、セミナーの製作の様子も紹介。
エド・キャンベルのサイトでシェルの製作の様子と蓼科での組み立て。カナダと日本の合作はこれが初ての事だった。
第1回 スクールを開いたいきさつ
第2回 スクールでの楽しき日々
第3回 アウトドアの天国
第4回 ログの完成そして旅へ
第5回 エド・キャンベル
第6回 出あったログハウスたち
第7回 once in a life time builder
第8回 ログハウス見学の旅
第9回 シャトーモンテベーロ
第1回 目次
1.エド・キャンベルの家と作業場
1. 永遠に未完成のエドの家
エド゙と奥さんのアイリーンは私と生徒達全員を暖かく歓迎してくれた。
まず自分の家を案内、外見からは出来上がっているように見えるが、仕事の合間をみながら少しずつやっているので内部は未完成である。それにしても、2年前に泊めてもらった時からあまり進展していないように見える。
◆写真右:エドの家
もう何年くらいかかりそうか尋ねると
「いつかは完成するだろう」と澄ましている。
ログハウス作りはプロとしての仕事である。自分の家
くらいはのんびり時間をかけて楽しみながらやりたいのだろう。それに自分の家でいろいろな工夫やアイデアを試してみたいらしい。
もっとも未完成状態のほうが家の仕組みが良く分かって、勉強になると、生徒達にとっては喜んでいたが。
写真右下:エドとアイリーンは生徒たちのっ質問に
丁寧に答えてくれた
2.エド・キャンベルの作業場
家を見学し、アイリーンに紅茶をご馳走して貰った後作業場へとぞろぞろと歩いた。
ダブテイル・コーナーの壁が立ち上がっていた。コーナーを鳩(ダブ)の尻尾(テイル)のように末広がりに、それも縦横両方向にテーパーがつくように、カットしクロスさせて重ねていく。釘などは一切使用せず、積み重ねていくだけでがっしりと組み合う。
◆写真右上:ジョブサイトのログの壁
◆写真右上:ダブテイル
仕組みは一寸違うが、一見正倉院の校倉作りの組み手が似ている。外側は丸太の丸みをそのまま表し、内部は平らにカットしているのも面白いアイデアである。
1948年に建てられたピーターのレストランがこの組み方で、皆既に眼にしているのだが、こうして現場で組み上げられているのを見るのは初めてで、ログ壁の周りを物珍しげに見て回っている。
2.エド・キャンベルとの長い付き合い
1. ログの世界の大先輩
生徒たちには暫く自由に見学させておいて、私とエドは家に戻り二人だけで話す時間を持った。
エド・キャンベルに最後に会ったのは半年前、日本でのことだった。
エドはそのごつい手を差し出し、改めて固い握手を交わし、肩を叩き合った。「最初に会ってからもう二年か」その時のことが二人の脳裏を同時によぎったようだった。
エド・キャンベルとは、今へと続く25年もの長い付き合いになるのだが、見学ツアーの途中に立ち寄ったこの時は、まだ5〜6度目だったかと思う。
最初の出会いは2年ほど前、ログ・スクールを卒業して帰国の途中に訪問した時。これから飛び込もうとしているログの世界の大先輩として、初めは緊張したものだったが、エドの建てた数棟の家を見学し、薪割りに共に汗を流し、ログハウスにまつわる色々な思い出やこれからの夢や計画を夢中になって話し込んだ。おまけにハローイン・パーティの仮装パーティに連れて行って貰い夜遅くまで踊りあかすという珍しい体験までをさせてもらった。
2.蓼科のセミナーハウス
3日間という短い時間にも拘わらず、すっかり打ち解けあい意気投合し、別れ際には「いつか一緒に、日本でログハウスを建てようではないか」と約束したのだった。
体の中に1/16インディアンの血が混じっているというエドは、遠い昔には日本人と自分とは同じ先祖を持っていると信じている。
壁に、モホークインディアンだった曾おばあさんの肖像が飾ってあった。
そんなこともあって、以前から日本に強い関心と憧れを抱き続けていた。
「いつか日本に行ってみたい、そして出来ればログハウスを建ててみたい」という夢を抱き続けていたらしい。
はるか遠い先の夢のようにも思えたその約束を、思いがけず早く果たすことになる。長野県の蓼科の別荘地に、予備校のセミナーハウスをエドと組んで建てることになったのだった。吹き抜け部分をカウントすると延べ200坪近く、当時としては日本で最大のログハウスである。
3.二重構造のログハウス
当時は建築基準法上ログハウスがまだ認可されておらず、建築許可を得るために内側に丸太で柱梁を組んだ軸組み構造体とし、その外側に意匠として丸太の壁を立ち上げるという二重構造で何とか許可を得たが、お陰で技術的には大変難しい物となった。
◆写真右;ログシェルは
エドがカナダのサイトで製作した
20段にも組まれた壁は軸組みで支えられ屋根から独立している。
壁は最大30cmもセトリング(沈み)屋根から離れてスライドダウンしていく。その現象をカバーするための独自の工夫を凝らした。
◆写真下左:打合するダンとエド・キャンベル
◆写真下右:エドは来日して組立てを手伝ってくれた
カナダで作り日本に輸送して組み立てた ハンドカットのログハウスとしては初めの試みだった。
エドは初めてであるということに対して非常な誇りっを持っている。
堂々と聳え立つログを見上げた時は感無量のものがあった。二人の約束が果たされた瞬間である。
ダン・ミルンは間に立ってさ様々なアレンジをしてくれた。
◆写真下:組み上がったログを上空から撮影。