渡部邸 住宅の外構工事 1 移転 土地を探す
- 移転を決意し土地を探すまで
- フロンティアワールドとの出会い
- 住宅の外構工事を始める
- 家の完成
移転を決意したのは、ある偶然なきっかけがあった。
移転するか?新天地を求めるか?
人生の大きな決断 を迫られた渡部さんご夫妻。考えた末に移転を決意し、土地探しを始めた。
「可能な部分は出来るだけ自分で」。この家を作るにあたっての、それが渡部さんの方針。
「家作りは任せたがガーデニングは自分の力で」。
家が完成して引越し、それかがら渡部さんの本格的な仕事の始まり。
ほぼ完成したのは、移転から6年後のことだった。
お客さまのデータ
庭を背景に渡部さんご夫妻
オーナー | 渡部 昭夫 さま |
---|---|
年齢 | 59歳(建設当時) |
職業 | 元外資系会社 役員 |
自宅 | 山梨県 白州町(現在) |
別荘 | |
敷地面積 | 500坪 |
家族構成 | 奥様、長女、次女、長男 |
移転しようと思ったきっかけ 渡部邸施工例
イメージ写真
移転を渡部さんご夫妻が考え始めたのは意外な事件からだった。あることがきっかけで、転機が訪れる……。
新しく開発された住宅地の建売りを購入して移転したんです。平成12年まで23年間そこに住みました。しかし建売の家の作り方なんて実にいい加減ですね。23年もすると痛みが激しく建て直しを考えないといけなくなった。
富士山の見える水もきれいな町、静岡の富士市に住んでいた。しかし
仕事の関係で
23年前に酒々井に移転した。
千葉県の中心部である。
新しく開発された住宅地の分譲住宅を買った。
印旛沼の近くで田んぼに囲まれ自然が多く、何よりも当時は、水や空気がきれいだった 奥さんが環境に過敏で、空気や水がキレイなことも大きな魅力だった、平成14年まで23年間そこに住んだ。
そんなときに雹(ヒョウ)が降ったのです。大粒の雹でした。多くの家がガラスが割れるなどの被害を受けまし。特にうちがひどくやられ雨漏りがするようになった。 「修理か?移転か?」 それまでも迷ってはいたが、その事件がきっかけで至急結論を出さなくてはいけなくなった」
移転を決意 土地を探す
考えた末移転を決意。土地を探し始める。平成12年のこと
年に50日もキャンプを張るほどのアウトドア派の一家だった。休みの取れる限り、キャンプをかねて八ヶ岳、那須、軽井沢、伊豆、房総半島とテントを車につんで走りまわった。
北海道まで足を伸ばしたこともある。勿論ついでに温泉や山をたのしむ。
移転先の土地の条件は
- 広さが最低でも300坪以上あること。折角便利なところから自然を求めて移転するのだから100坪150坪ではつまらない。
- 水や空気がよいこと。
- 山が好きなので雄大な景色があること。
- 民家が密集していないこと。
- 煩わしい付き合いの必要ないこと
「土地に掛けられる予算もあります。生活出来るかという問題もあります。軽井沢は高い、那須で気に入ったところもありましたが、冬は道路が凍ってこの急な道路では登るのに大変といわれあきらめました。6ヶ月程くらい探しまわり、南アルプスの懐、この白州町周辺にしようということに決めました。
この土地に決めたのは・・・・・・・
・・・」
白州町に絞り、具体的に土地を探し始めた。
3軒の不動産屋に土地を見せてもらった。林に囲まれているせいで、どの土地も暗い感じを受けた。 この土地に決めたのは、明るい開放的な感じがあったからだ。広さも500坪と広く、希望を満たしている。
たまたまこの土地のオーナーが、そこを売るために木を伐採していた。それで開けて明るい感じをうけたんですね。
敷地の境界に川が流れている。家からは見えないが、一寸足を伸ばすと雄大は南アルプスが広がっている。
「民家が密集していて煩わしい」 ということはなく、かといって
ボツボツ別荘も家も建っているので、寂しくもない。
その多くは別荘で、田舎暮らしにつきものの、隣り近所との煩わしい付き合いもなさそう。
いろいろ条件を検討して、考えた末ここに決めた。
南アルプスを望む 雄大な景色
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