カナダのアルバータ州カルガアリーで生まれ育ち
スポーツ好きだった少年時代
初めてのスキーは15歳の時
第1回 雪崩からの奇跡の生還
第2回 生い立ち
第3回 バンクーバー島の旅
第4回 合気道修行時代
第5回 由美子さんとの出会い
第6回 家の改造大作戦
第7回(最終回)家の完成そして二人の結婚
第2回 目次
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1,序:スキー初体験
フォートレスマウンテン・スキー場の山頂に立ち、モーリスは雪の斜面を見下ろした。
親友のデイブは颯爽と滑りおりて行き、下の方で見守っている。スキーをするのは今日が生まれて初めてだ。見下ろすと目がくらみ、足がすくむ。
10分ほどかけて簡単に教えてくれただけで、リフトに乗せられ、デイブにこの山頂まで連れてこられた。snow plow (スキーをハの字に開いて滑る)で何とかスピードを抑え真っ直ぐ滑るのを覚えただけ、どうやって曲がるのかも分からない。
「良く足を折らなかったものだね」と私が聞くと
「幸い雪が柔らかかったからケガはしなかった。だけど、数え切れないほど転んだよ。」
「sink or swimという諺知っている? 沈むのが嫌なら泳ぎを覚えるしかない。」
スキーをハの字に思い切り開き、モーリスはやけくそで雪の斜面へと飛び出していった。
何百回転んだか数えきれない、転んでもうまく起き上がれない。ジタバタともがいてやっと立ち上がった途端、スキーが勝手に滑り出し又転ぶ。急斜面はほとんどずり落ちるようだ。何度も頭から突っ込み、汗と雪で顔はべとべと。全身雪だるまである。
デイブは滑り下りてはまたリフトで登り、様子を確かめるとまた滑りおりていく。モーリスが転んでいる真上でわざと急停止し、雪を浴びせかけて面白がっている。「この野郎」と思っても悔しいかなスキーでは勝負にはならない。デイブが上から滑ってくると、慌てて起き上がり必死で逃げる。悪戦苦闘の末何時間もかけて、やっとの思いで滑り降りた。
しかし、下に着いたころには何とか滑れるようになっていた。デイブのこの手荒い教え方が、意外に良かったのかもしれない。
これが15歳の時の、モーリスのスキー初体験だった。しかし、後に「プロスキーヤーで食べていこうかな」と考えことになる。
2.モーリスの生い立ち
1960年6月10日、モーリス・ギリスはカルガリーで生まれた。アルバータ州最大の都市で、1988年ここで冬季オリンピックが開かれる。モーリスは長男、下に弟三人、上に姉が一人の5人兄弟。
「知らない人がそばで聞いているとはらはらするような、下手をすると相手を傷つけるようなきわどい冗談を、しょっちゅう言い合ってるんですよ。最初はびっくりしました」と由美子さん。いつも何か冗談を言って楽しませようとするのは、飾り気のない、暖かで陽気な、そんな一家の一員として育ったせいかも知れない。
父が大きな建築材料のメーカーに勤めていた関係で、良く引越しをした。カルガリーからバンクーバーへ。
そこらかカナダを横断してオンタリオ州のロンドンへ。
12歳から17歳までは再びカルガリーに住んだ。アルバータ州のレスブリッジで17歳〜18歳の1年だけ過ごし、ここで高校を卒業する。(両親は後にこのレスブリッジを永住の地とする。)18歳〜19歳にかけての1年は再びカルガリー。
聞いていると混乱してくる。要するにB・C、アルバータ、オンタリオの3州にまたがり、広いカナダ国内をあちこちと引っ越して歩いたという訳だ。
住む国に拘らないのも旅が好きなのも、移動を繰り返した子供のころの生活が影響しているのかもしれ
ない。
3.スポーツ好きだった少年時代
モーリスには好きなことに出会うと夢中になるところがあり、環境が変わるその時々に、色々なスポーツや遊びに熱中した。
アイス・ホッケーの名プレイヤーだった父の影響で2歳の頃からスケートを始め、アイス・ホッケーのクラブチームに入り練習に励んだ。オンタリオにいた小学校の2年生から6年生にかけてはアイス・ホッケーの他に水泳を熱心にやり「very good swimmer」だった。
カヌー、フィッシング、テニスと熱中の対象が変わり、そしてスキーと出会いのめり込んでいく。
「15歳でスキーを始めたということは・・・・えーと、カルガリーにいた頃ということ?」私はメモで確かめる。
「そう、それについては面白い話があるんだ。高校2年の時の事だった」とその頃のことを思い出したか、目を輝かせて楽しそうにモーリスが話し出したのが、その初めてのスキーのことだった。
写真:ベールスキー場
デイブはモーリスを連れていきたいと思ったが、残念ながらスキーをしたことがない。
「それでは俺がスキーを教えてやろう」と連れて行ってくれたは良いが、本人が滑りたくてウズウズしている。 本当に簡単に教えてくれただけで乱暴にも山頂に連れて行かれたという次第。こんな酷い目に会いながら、 スキーに不思議な爽快感を覚えていた。
それからというものモーリスは熱心にスキーを練習し始めた。
新聞配達のバイトは12歳の頃から休まず続け、他にもいろいろバイトをしてお金を貯めていた。 そのお金で車を買った。運転免許は16歳で取得している。友達と一緒にその車で2時間位かけて 、バンフのサンシャイン・ビレッジに通い、ここでモーリスはタチマチ腕を上げていく。
4.>カーペンターからスキーバムへ
18歳で高校を卒業し、カルガリーのスチールパイプを作る工場で工員の仕事についたが、面白くなくてこれは3ヶ月ほどで辞めてしまう。カルガリーからファーニーの町に移り住み、カーペンターの見習いを始めた。しかしボスは仕事を全く教えてくれず、毎日毎日雑用ばかり。嫌気がさしてこれも6ヶ月でやめてしまった。どんな仕事が向いているのか分からない。中途半端な仕事につくよりは、思い切り、好きなスキーをやってみようと考え。レストランでウエイターとして働きながらスキー・バムとしての生活を始めた。
400席ほどあるグルメにも人気の大きなレストランだった。同じレストランで働くスキー・バム仲間と一軒家を借りて住み、毎朝車でスキー場へ通って目一杯スキーをし、一休みしてレストランで夜遅くまで働く。そんな日々を繰り返す。 スケジュールは組まない。気の向くまま興味の趣くままに旅をしたい。あえて期限を決める必要もない、心ゆくまで楽しんでこよう。 結局それは、6ヶ月間にも及ぶ長い旅となった
スキー場はさほど大きくはない。当時は、Tバーリフト2本とチェアリフト1本だけだった。しかし、パウダー・トライアングルと称されるカナダ一の豪雪地帯に位置し、隠れた深雪スキーのメッカである。
バンフやジャスパーのような有名なスキー場と違い、ここに集まってくるのはチャレンジ精神旺盛なスキークレージー達ばかりだ。
写真:ファーニーマウンテイン
標高2195mのマウント・ファーニー山頂からの眺めは素晴らしい。ロッキー山脈特有の鋭い岩峰群が目を楽しませてくれる。複雑な地形、変化に富んだ急斜面は、スキーヤーに快い緊張感を強いる。
もう一つの大きな魅力は、山岳スキーが出来ることだった。リフトで山頂に登りゲレンデとは別の斜面を滑り降りる。
次の峰に歩いて登りまた滑る。滑り降りるとまた次の峰へ。これを繰り返す。スキーはツアー用の物を用いる。キャンプを張りながら、何日もかけてツアーをする場合もある。
モーリスが巨大な雪崩に遭遇したのも、山岳スキーを楽しんでいた時の事である。
19歳から始めたこんなスキー・バムとしての生活を、24歳の時に区切りをつける。
5.バンクーバー島への旅
そんなにまで打ち込んだスキーを何故やめたのだろうか?
「スキーで生活することは考えなかった?」と質問する。
「それは真剣に考えた。スキーのインストラクター、スキー・レーサー、いくつかオプションがあったけど・・・・」
しかしいざスキーを仕事として考えると、ためらうものがあった。
手っ取り早いのはインストラクターである。教えるのは嫌いではない。しかし、生徒を相手にしている自分を想像する。気ままに滑りたいという衝動を抑え毎日毎日スキーを教える。若いモーリスにとって魅力のある仕事とは思えなかった。スキー・レーサーも賞金だけで食っていける訳はないし、それに今からでは遅すぎる。
唯一考えられたのはヘリコプタースキーのガイドだった。
ブルーリバー・スキー場という、ヘリコプタースキーで人気のあるスキー場があり、そこで一度体験した。
ヘリコプターに乗り、延々と連なる雪山を眺め下ろしながら一気に山頂へ。スキーを付け,歓声を上げながら深雪の斜面へと飛び込んでいく。素晴らしい体験だった。
しかしガイドに仕事の様子を聞き、その仕事も思うようにスキーを楽しめるわけではなく、いろいろ嫌なことを我慢しなくてはならない事を知った。 写真:バンクーバー島の玄関口 ナナイモ
好きな事を職業とすることは、純粋に楽しむのを諦めることでもある。結局スキーを職業とする道を選ばなかった。
モーリスはスキー・バムとしてのファーニーでの生活を切り上げ、バンクーバー島周辺を旅することにした。まだ渡った事はなかったが、この島には以前から興味があった。
氷河に削り取られた荒々しいフィヨルドの海岸線、無数の島々、連なる山々、巨木の森、湖、急流、海岸に沿って点在する1,000以上の海岸洞窟。鯨、シャチ、そして野生の動物達。・・・トレッキング、ロック・クライミング、カヌー、ホースバック・ライディング等等、 アウトドア派には天国のような島だ。
バンクーバーの港からフェリーに乗り、大小様々の無数の小島を見ながら1時間半ほど行くとバンクーバー島の玄関ナナイモに到着する。島の人口は72万人、大きさは九州より少し小さい。B・C州の州都ビクトリアは島のほぼ南端に位置し、英国調の美しい町並みと温暖な気候故に、定年後の永住の地として最も人気のある街の一つである。
荷物をレスブリッジの実家に預け、持っていたトラックを改造してキャンピングカーを作った。