
緑化フェアの目玉ウイック・ハイムティンバーショーがいよいよ幕をあけた。
司会を務めるのは地元のTV局の人気ディスク・ジョッキー。
ショーは一日三回、各回約30分、その短い時間の中で次から次へと競技を繰り広げていく。
まず競技内容を手短に説明したあと、スポーツの実況の感じで緊迫感を盛り上げていく。
種目によってはたくみにユーモアを交え観客を笑わせる。
ショーの成功には良い台本とそれをたくみに表現して
くれる司会者の腕が欠かせない。
ウイックハイムク氏
より送られて来た資料をもとに台本が作られた。
この日からひと月間日本で初めてのこのショーが、この特設会場で繰り広げられる。
日本でなじみの薄いこのショーが果たして受け入れられるだろうか?
写真右:木のぼり競争
その目玉の一つとしてティンバー・ショーを企画しているのだが、どうやって呼んだらよいのか分からず、 主催者側は近藤さんという私の知り合いに相談を持ちかけた。
ティンバー・ショー? 「そういえば三浦の亮ちゃんがログハウス作りをやっている、あいつなら何とかしてくれるのでは」 と考えた近藤さんは私にこの話を振ってきた。
丁度ハンドカットのログハウス・メーカーの協会、ログハウス・フォーラムという 組織を立ち上げて間もない頃の事で、協会運営のための資金稼ぎになりそうだという下心と、面白そうだという好奇心とで 引き受けた。
ショーだけではなく会場の近くにログハウスを一棟建てるというおまけもついた。 これは私のログ・スクールの生徒で、福岡でログハウスの会社をやっている中村兄弟に協力して貰えば何とでもなる。
スプリングボードの上で斧を振るうロッガー
ロガースポーツをショーに仕立て上げたものが
ティンバー・ショーである。ではそのロガースポーツとは?
ログバーリング、水に浮かべた丸太の上にふたりが乗り、脚で丸太を回し、相手を先に水に落としたほうが勝ち。
湖に集積した丸太を筏に組んで運ぶ。
いかだを組むためにはバランスと取りながら丸太の上を飛び回る技術が要求される。 そんな仕事の合間に丸太の上に乗り、落としっこをしたのであろう。
その他チェーンソーやノコギリなどの道具を使った競技といろいろあり、 いずれも自然に発生した遊びの延長上にある競技である。
それぞれ性格も要求される能力も違う独特で実に多彩なスポーツだ。
人力で行われた仕事の殆どが機械に取って代わられ、現在では実用性を失っているが、 連綿を受け継がれた技術を絶やしたくないという思いが根底にはあるようだ。
他の多くのスポーつが、もととなる遊びから進化し洗練され、複雑なルールに縛られているのに比べると、 ロガースポーツは、その元となる仕事の内容がそのまま分かり、
勝敗も単純明快で素朴な楽しさに溢れている。
カナダ・アメリカでは人気があって、大きな大会ともなると、何千人もの観客が集まる。
残念ながら正確な記録は手に入らなかったが、ロガースポーツの歴史は結構古いようだ。
1899年ミネソタでログバーリングの大会が開かれたという記録がある。
ロガースポーツの大会として一番長く続いているのが、バンクーバー島の南端に近いスークという人口わずか 3千人ほどの小さな町で開かれている大会で1934年から途切れることなく続いている。
それだけに多くの名選手やチャンピョンがこの町やバンクーバー島から出ている。
その時担当者として親身になって相談に乗ってくれたのが矢崎商務官であった。
無類の世話好きでその後も何かと大使館に顔を出して相談に乗って貰っていた。
赤坂の大使館に出向き矢崎さんに事情を話すと、好奇心旺盛な矢崎さんは「それは面白そうだな」と協力を約束してくれた。
「もし実現したらカナダ大使館の後援を取り付けてあげるよ」というありがたいおまけもつけて2〜3日して矢崎さんから連絡が来た。
ウイック・ハイム氏というのがどうやらこのショーの世界の第一人者らしいという。
部分的に紹介された事はあるが、ショーをフルセット本格的に日本でやるのは初めてであることも分かった。
ウイック・ハイム氏は、かってログバーリングの世界チャンピョンを十度獲得しギネスブック入りしたこともある、この世界の名物男である。
趣味が高じて1970年、ついにウイックハイム・ティンバーショーズ゙を結成し、以来世界中でティンバーショーを公演して歩いている。
早速ウイック・ハイム氏とコンタクトを開始した。
時期、参加人員、契約金、その支払い方法、色々な経費の負担などなど、 何度かやりとりを続け合意に達し、ウイックハイム・エンタプライズの代表ウイックハイム氏とログハウス・フォーラムの代表として私がサインして契約。
そしてそれをベースに緑化フェア実行委員会と交渉を重ね、北九州市と契約を交わした。
ログハウスの建設を含めフォーラムとの契約金額は4500万ほどの金額であったが、会場の設営や一月間のショーの 運営一切の費用を考えるとショー関連全体では 3億以上掛かったのではないかと推定している。
このショーが目玉の一つとなりフェアが大成功に終わったことを考えると北九州市にとっては良い買い物だったと思う。 ちなみにもうひとつの目玉がゴッホの「ひまわり」の展示だった。