4ヶ月という、信じられないような短期間で造られたこの
建物と、不可能を可能にした男、ビクターナイマークの物語。
(三浦 雑誌連載より)
■主な内容
先頭に立って指揮するナイーマーク
第1回 シャトー・モンテベーロとは
第2回 猛烈な勢いで工事が進む
第3回 シャトーの奇跡的な完成
第3回 目次
1.押し寄せる見物客
「巨大なログの城の建設始まる」。
新聞に記事として取り上げられると、俄然注目を浴び、カナダ全土から、そしてアメリカからも車や列車に乗って大勢の見物客が押し寄せ始めた。
シャトー・モンテベーロは建設過程そのものが刺激と興奮に満ちた一大イベントだった。噂が噂を呼び見学者は日を追うごとに増え続け、特にウイークエンドには何千人もの見学者が押し寄せた。
規模の壮大さとともに見学者を驚かせたのは、信じられないような工事のスピードだった。
例えば最初の丸太が基礎の上に並べられ始めたのを見て帰り、 2週間ほどしてまた来て見るとログ壁の一層部分がほぼ積み上がり唖然として見上げる、というような具合である。
2.設計が間に合わない
この歴史的な建物の設計を請け負ったのはモントリオールのローソン&リトル設計事務所で、設計を指揮したのはハロルド・ローソン。事務所の全員が徹夜、徹夜を繰り返しながら全力で設計を進めたのだが、狂いじみた勢いで進む建設に設計が追いつかない。
ある日やっとの思いで仕上げた図面を抱えて現場に駆けつけると、その部分は既にログが積み上げられた後だったというようにである。
描かれた図面の枚数は延べ1000枚に及んだ。 写真:二階のログの壁面を組む
柱や梁を組んでいくティンバーフレームなどと違い、ログ建築は一段又一段と組みあがっていく。 壁がせりあがっていく様は圧巻である。ログの壁の圧倒的なその量感が見る者を圧倒する。
3.ログの壁面はわずか2月で組み上がった
4月15日 シダーホール(従業員宿舎)の床を支え
る根太の上に、床下地の板が張られていく。
この日ガレージのログ組はほぼ完成し、屋根工事に入ろうとしている。
6月7日 ログ組を開始して丁度二ヶ月、3棟の建物のログの壁面が積み終わった。
この当時チェーンソーはまだ登場していない。
アックス(斧)やノコギリやノミなど、殆どの作業が手道具で行われた事を考えると、1万本もの丸太を
2ヶ月で加工し積み上げるというのは、正に驚異的なスピードである。
一階部分の石の上に2層のログの壁を組んでいく |
3交代制で24時間ぶっ通しで作業を続ける。
時間は限られている。 明日そして1週間先と、常に全体の進行状況を考えながら手配しなくてはならない。
「流れるように作業を進める」、それが私の最も大事な仕事だった」(ナイマーク)
4.残された時間はあと20日だけ
これだけの数のビルダーがフルに活動し、膨大な作業を短期間にこなしながら、大きな事故が全くなかったというのも賞賛に値する。
5月22日の写真を見ると、宿泊棟のウイングBとEがほぼ完成し、屋根材に使われるシダーシェイク(シダーの丸太を手割りで作った屋根材)が整然と並べられている。
6月10日
ログシャトーの中でも最も難しい工事、 センターホールの屋根組みが完成、屋根下地の板とシダーシェイクを張る作業が急ピッチで進んでいる。 残すところわずか20日。この写真を見る限りでは、あと20日間で完成までこぎ着けるとはとても思えない。
6月23日
内部の仕上げ工事と平行して現場の後片付けが始まる。材料を無駄なく利用するため、残った丸太を用いてゲートハウスが建てられた。
写真上:完成間近のログシャトー。真ん中に突き出しているのはレストラン棟
5.シャトー・モンテベーロの完成
7月1日予定通り、シャトー・モンテベーロは一日の遅れもなくグランドオープンの日を迎えた。
ログシャトー(ホテル)、シダーホール(従業員宿舎)ガレージの3棟の他に、この地方に昔からあった領主の館の改修、9ホールのゴルフコース(後に残り9ホールが完成)そしてテニスコートも併せて完成した。
写真:6ケ所の焚口をもつ巨大な暖炉 高さ20mに及ぶ、恐らく世界最大の暖炉だ
使った丸太は1万本
最盛時3500人もの生活を支えた仮設の建物群は一夜にして取り払われた。
本格的に工事がスタートしてから4ヶ月、規模もさることながら、現代に比べると機械力の格段に劣るこの
時代の状況を考えると、そのスピードにおいて世界最速記録であろう。
ちなみに用いられた資材の数量を並べてみよう。
○ 建物の最も重要な部分であるウエスタン・レッドシダーの丸太は約1万本.
一列に並べると64kmに及ぶ。これは遠く4000キロほど離れたB・C州から運ばれた。
○ 屋根材に使われた手割のシダーシェイク50万枚、運ぶのに要した貨車17台。
○ 水道の配管の延べ長さ85km、設備機器843個、スプリンクラー7600個、
○ 電気の導管延べ64キロ、2100個の精巧な手作りの照明器具。
○ 取り付けられた扉1400枚、窓535枚・・・・
6.ナイマークの夢の跡
疾風怒濤の4ヶ月が過ぎた。不可能と思われるその仕事を成し遂げた。終わってみればあっという間だったろう。
役割を果たしたビルダー達も三々五々と各々の家庭へと帰っていく。
待っている家族、子供達に自慢話を聞かせることだろう。 彼らにとっても一生の誇りに思えるに違いない。
3棟の巨大な丸太の建物が威容を見せている。その建物郡を見て回る若き日のナイマークの姿を思い浮かべる。 彼の脳裏を駆け巡ったものは果たしてなんだったろうか。
室内プール |
ボートハウス |
全身全霊で仕事に取り組んできた濃密な時間。 毎日毎日神経を張り詰め、先先を読みながらまるでチェスの駒を動かすように大軍を指揮してきた。そして今その指揮官としての役割は終わった。
その時代とその場所にたまたまめぐり合わせ、そしてその幸運を掴み取るだけの資格を備えていた。
「しかし・・・」、と私は思う。
「一世一代の大仕事」という言葉がある。 ナイマークにとってシャトー・モンテベーロの建設は正に一世一代の大仕事だったに違いない。
これほどの大仕事を29歳にして成し遂げてしまったナイマークは一種の虚脱感に襲われなかっただろうかと。
「世界一のログビルディングを建てた男」として、揺ぎ無い名声を築くことが出来た。
長い建築の歴史の中で、これほどの巨大なログの建築物はない。永久にこれを超えるログの建築物は現れないかもしれない。
シャトー・モンテベーロが建ち続ける限りビクター・ナイマークの名は語り継がれるに違いない。
しかし・・まだまだ長い人生が待ち受けている。
<果たしてこれを超える仕事があるのだろうか。一生の幸運を、このシャトー・モンテベーロで使い果たしたのではないか> そんな思いがナイマークの胸を去来しなかっただろうか。
木で組まれたジャンプ台 |
カーリング場 |