
自分の技術を売り込む
おりしも不況の真っ只中、(こんな時代に自分の腕を買ってくれそうなのは大金持ちしかいない)と考えたナイマークは景気の良さそうな企業のオーナーに狙いを絞り、自分の技術を売り込むことにした。
まだ満足に英語を話せないので、友人に英語で経歴書を書いてもらいそれを持って売り込みに歩いた。
モントリオール・スター新聞、セントローレンス砂糖、景気の良い証券会社・・・・等々、物おじすることなく飛び込んで行った。 その狙いがあたり、アルパインイン、ナイマークロッジ、サンフランシス協会など大きなログビルディングをてがけていく。
![]() |
---|
鉄道の支線 |
![]() |
駅舎 |
![]() |
---|
最大時3500人もの職人を収容する宿舎群 |
![]() |
---|
抜群の統率力
4月7日 いよいよログワークがスタートし、ナイマークの活躍が始まった。
ログワークが始まるとナイマークは抜群の統率力を発揮する。 建設に参加した800人のビルダーを50人一組とするグループに分け、各組にリーダーを一人置き、有機的な組織作りをした。
![]() |
---|
建設に参加したビルダー達 |
工事は一瞬の停滞も許されない。24時間労働体制が敷かれ、一人が休憩に入るとすかさず交代のビルダーが作業を交代する。
新しいメンバーが入ると必ず古参のメンバーと組み合わせる。作業可能な余分な場所には必ず人員を配し何処でも作業が行われている状態を維持し続けた。
まるで戦場である。
総指揮官であるナイマークは常に全体を掌握し工程を監理しなければならない。 人、資材、機械を如何に無駄なく配置するか。
虫の目で細かいところに気を配り鳥の目で全体を俯瞰し常に先を先と読んでいく。
戦う相手は時間
800人のビルダーは若いナイマークを信頼し、一糸乱れず作業を進めていく。
この建設に参加したログ・ビルダーの多くはヨーロッパからの移住者で、スカンジナビアやロシアの高度な技術を習得した人たちだった。
それは強固で耐久力を有し、厳しい気候にも耐え得る建物を建てる、数百年にわたって受け継がれた優れた技術だった。
ちなみに彼等に対して支払われた給料は時給50セント、これは当時の一流の技術者に対して支払われたと同じ額だった。
![]() |
---|
![]() |
設計士はログの工法に精通しているわけではない。むしろ現場の判断にゆだねられる場合が多い。 それだけに豊富な経験と全てのログ技術に習熟していなければ全体の指揮は取れない。
故国フィンランドで培ってきた技術、そしてカナダに移住してからこの6年間に、ナイマークは規模が大きく、難しい技術を要求される多くのログ建築をこなしてきた。
その技術と経験の全てをこの仕事に注ぎこんだ。